西ヨーロッパ社会の成立 2

ヨーロッパの風土と人々

 

西ヨーロッパ・・温暖・湿潤な西岸海洋性気候→穀物栽培や牧畜

東ヨーロッパ・・・寒冷・乾燥の大陸性気候→遊牧

地中海沿岸・・・地中海性気候→果樹栽培

 

ヨーロッパの人の流れは東から西、北から南へ移動

インド=ヨーロッパ語族が多数も、ウラル語系・アルタイ語系(マジャール人・フン人)も活躍

 

ゲルマン人の大移動

 

ゲルマン人・・・ケルト人を圧迫しつつ西進

数十の部族で分かれ、部族単位で民会が開催

ローマ帝政後期には帝国への移住者も

 

4C後半、フン人が東ゴート人(ゲルマン人の一流)の大半を征服、西ゴート人も圧迫

→西ゴート人は南下、ローマ帝国領内に移住⇒ゲルマン諸部族が移動開始(ゲルマン人の大移動)

 

西ゴート人・・・ローマ略奪後、ガリア西部・イベリア半島で建国

ヴァンダル人・・・北アフリカで建国

ブルグンド人・・・ガリア南部で建国

フランク人・・・ガリア北部でフランク王国建国

アングロ=サクソン人・・・大ブリテン島で建国

フン人・・・アッティラ王が大帝国を築く→西ローマ・ゲルマン連合軍に敗れ崩壊

476年、ゲルマン人傭兵隊長オドアケルによって西ローマ帝国滅亡

東ゴート人・・・フン人の支配から脱却後オドアケルを倒し、建国

ランゴバルド王国建国を最後に、民族大移動は終焉

 

フランク王国の発展

 

フランク王国・・・クローヴィスによって統一。メロヴィング朝の開始

正統派のアタナシウス派に改宗→正統派のローマ人貴族を取り込む一因

 

しかし、勢いが衰えると宮宰が実権掌握、イスラーム勢力の侵攻

→カール=マルテルがトゥール・ポワティエ間の戦いでイスラーム軍を撃破→子ピピンがカロリング朝を興す

 

ローマ=カトリック教会の成長

 

五本山・・・総大司教座教会。ローマ・コンスタンティノープル・アンティオキア・イェルサレム・アレクサンドリア

ローマとコンスタンティノープルが有力

 

ローマ教会・・・コンスタンティノープル教会(ビザンツ帝国)から分離、独自活動へ

ローマ司教は教皇を名乗る

修道院の布教活動で学問・教育や農業発展に貢献→西ヨーロッパで勢力拡大

ビザンツ皇帝レオ3世が聖像禁止令発布(イスラームへの対抗策)→ローマは反発(布教活動に聖像が必要)、対立へ

 

ビザンツ皇帝に代わる政治的庇護を求めたローマ教皇は、フランク王国に接近

ピピンのフランク王位継承を教皇が認可→ピピンはラヴェンナ地方を寄進(ピピンの寄進、教皇領の始まり)

→ローマ教会とフランク王国は結びつきを強化