西ヨーロッパ社会の変容

教皇権の衰退

 

十字軍失敗・各国王権の拡大→教皇権の衰退

フィリップ4世・・・対聖職者課税をめぐって教皇ボニファティウス8世と対立→教皇を捕らえ憤死(アナーニ事件)

教皇庁をアヴィニョンに移転、教皇はフランス王の支配下へ(教皇のバビロン捕囚)

教会大分裂・・・ローマに戻った教皇対フランス王のアヴィニョンの教皇→教皇の権威失墜

 

それにともない、教会改革の動きも起こる

ウィクリフ(聖書こそ信仰の最高権威)・フス(ウィクリフに共鳴し教会批判)→宗教界は混乱

 

コンスタンツ公会議・・・神聖ローマ皇帝の提唱で開催

ウィクリフとフスを異端

ローマの教皇を正統と認める→教会大分裂の終結

その後もフス戦争などがあり、教皇権は回復せず→宗教改革へ

 

イギリスとフランス

 

身分制議会・・・13Cから14C以降、ヨーロッパの各国王が開催

聖職者・貴族に市民代表をくわえた国王の諮問機関→市民の成長、中央集権化

 

イギリス・・・ノルマン朝により例外的に最初から強固な王権→プランタジネット朝へ

ヘンリ2世に封建王政の最盛期も、ジョン王によって大陸領地を失い、教皇から破門

大憲章(マグナ=カルタ)・・・貴族が王に認めさせた

課税は貴族・聖職者の同意が必要、法による支配→イギリス立憲政治の始まり

ヘンリ3世が大憲章無視→シモン=ド=モンフォールが反乱→従来の議会に州や都市の代表を加えた議会を王に認めさせる

→イギリス議会の起源

エドワード1世が模範議会開催→14Cに上院(貴族・聖職者)と下院(州・都市代表)にわかれる

騎士・・・軍事的性格を失いジェントリとなる→下院の勢力へ

 

フランス・・・当初カペー朝の王権は弱かった

・フィリップ2世(ジョン王との戦いで国内イギリス領の大半を奪還)

・ルイ9世(アルビジョワ派を征服し南フランスに王権拡大)

・フィリップ4世(アナーニ事件で教皇を捕囚、三部会の開催)→王権の更なる強化へ

 

百年戦争とバラ戦争

 

・イギリスは羊毛輸出で利益→フランドル地方(毛織物産地)←フランスは支配下に置こうと画策

・フランスでヴァロワ朝が成立→母がカペー朝出身のイギリス王エドワード3世が王位継承権を主張

⇒百年戦争勃発

当初はイギリス軍が優勢、シャルル7世時にはフランスは崩壊寸前

→ジャンヌ=ダルク登場で勢力回復→カレーを除きイギリス軍を撃退、フランスの勝利

戦争以降、諸侯・騎士が没落し中央集権化が進む

 

バラ戦争・・・ランカスター・ヨーク両家によるイギリス王位継承権争い

戦争の結果、諸侯・騎士は没落

→ランカスター派が内乱収束、ヘンリ7世が即位しテューダー朝を開く→絶対王政への道を開く

 

スペインとポルトガル

 

イスラーム教徒が後ウマイヤ朝建国

国土回復運動・・・イベリア半島におけるイスラーム勢力駆逐運動→12Cまでに半島北部がキリスト教圏に

バラバラだったキリスト教徒が戦いを通じて統合→カスティリャ・アラゴン・ポルトガル3王国

カスティリャ王女イザベルとアラゴン王子フェルナンドの結婚で統合→スペイン王国

スペインはイスラーム勢力最後の拠点グラナダを陥落→国土統一、海外進出へ

ポルトガルはジョアン2世が王権強化、大航海時代への道

 

ドイツ・スイス・イタリアと北欧

 

ドイツ(神聖ローマ帝国)・・・諸侯・自由都市の力が強い

歴代皇帝はイタリア政策で国内軽視→統一は果たせず

大空位時代・・・ドイツにおける政治的混乱の頂点。事実上皇帝がいない状態

金印勅書・・・皇帝カール4世が発布。皇帝選出権を七選帝侯に認める

14C以降、ドイツでは領邦(大諸侯の領地)単位での中央集権化が進む

皇帝はハプスブルク家から輩出されるが、なおも統一は困難

エルベ川以東にドイツ人が大規模植民(東方植民)→プロイセン・オーストリアの基礎

 

スイス・・・ハプスブルク家の支配に農民が反発

→1499年に神聖ローマ帝国より独立、1648年のウェストファリア条約で国際的承認

 

イタリア・・・南部は両シチリア王国がシチリア王国・ナポリ王国に分裂

中部は教皇領

北部はヴェネツィア・ミラノ・フィレンツェ・ジェノヴァなどの都市国家が分立

神聖ローマ皇帝によるイタリア政策→教皇党と皇帝党で闘争→統一は困難

 

北ヨーロッパ・・・デンマーク・ノルウェー・スウェーデンでカルマル同盟締結→同君連合王国の誕生

フィン人はスウェーデンによって併合