宗教改革

宗教改革以前

 

十字軍の失敗以降、ローマ教皇の権威は傾き始める。

ボニファティウス8世・・・聖職者への課税をめぐって、イギリス・フランス国王と争う

→フランス国王フィリップ4世に捕らえられ、釈放の後死亡(アナーニ事件)

教皇のバビロン捕囚・・・フィリップ4世は、教皇庁を南フランスのアヴィニョンに移し、教皇庁はフランス王国の支配下へ

教会大分裂・・・教皇がローマに帰還後、アヴィニョンは別の教皇を擁立→互いに正統性を主張して対立

 

その後もフス戦争などが起こり、教会と教皇の権威失墜は決定的に、キリスト教の革新運動は盛んになる。

 

ルターによる宗教改革の始まり

 

当時、教皇レオ10世がサン=ピエトロ大聖堂建設資金捻出のため、贖宥状を販売していた。

マルティン=ルター・・・ドイツの神学教授。福音信仰によってのみ魂は救済される「福音主義」を確信

→「九十五カ条の論題」(贖宥状と魂の救済とは無関係など)を発表

→教皇庁の搾取に苦しんでいた諸侯や市民、領主の搾取に苦しんでいた農民から支持を集める

→教皇から破門される

 

カール5世からヴォルムス帝国議会に呼び出されるが、ルターは自説を撤回せずに『新約聖書』のドイツ語訳を完成させた。

→民衆が直接キリスト教の教えに触れられるようになる

 

ルターから派生したドイツの宗教改革

 

ミュンツァー・・・ドイツの説教師。当初はルターの福音主義を支持

→信仰を社会改革への要求と結びつけ、ドイツ農民戦争(農奴制の廃止などを求める)を起こす

当初、ルターは同情的だったが、領主制秩序の改変であることを知ると、対立する諸侯側につく

(ルターは有力諸侯ザクセン選帝侯の庇護を受けていた)

 

その後ドイツでは、カトリックとルター派との争いが激化→シュマルカルデン戦争にまで発展

アウグスブルクの和議・・・諸侯がカトリックかルター派を選べるようになった(領民個人には選択権がない)

 

宗教改革の広がり

 

ツヴィングリ・・・スイスで宗教改革を開始したが、教義の違いなどからルターからの協力は得られず

カルヴァン・・・フランスの人文主義者だがジュネーヴで活動。『キリスト教綱要』を公刊して福音主義を理論化

「予定説」(魂の救済はあらかじめ神によって決定されている)を説く

→職業は神により与えられた「天職」とみなされ、新興の勤労市民に支持される

「長老制度」(教会員から長老を選び牧師を補佐)を採用←ルターは「司教制度」を維持

 

その後、宗教改革はヨーロッパ全域に広がり、新教徒は「プロテスタント」と呼ばれる。

イギリスでは、国王ヘンリ8世が離婚をしたいがためカトリック離脱→イギリス国教会の設立

ピューリタン・・・イギリスのカルヴァン派

プレスビテリアン(長老派)・・・イングランドのカルヴァン派

ユグノー・・・フランスのカルヴァン派。勤労市民が多い

ゴイセン・・・ネーデルランドのカルヴァン派

 

対抗宗教改革

 

カトリック教会は勢力の建て直しに努める。

トリエント公会議・・・教皇の至上権、カトリックの教義を再確認

宗教裁判・・・異端者(魔女狩り、禁書目録など)を発見し処罰する

イエズス会・・・イグナティウス=ロヨラがフランシスコ=ザビエルらと共に結成

厳格な組織と規律で海外伝道に努める

 

これらの活動により、南ヨーロッパへの新教進出を阻み、南ドイツも奪回

一方で新旧両教派の対立は激化→宗教戦争へ