ローマ帝国

ローマ共和政

 

ラテン人・・・インド=ヨーロッパ系の南下第2波。一部が都市国家ローマを建設

ローマは当初エトルリア人の王によって支配→王を追放して共和政に

貴族・平民(中小農民)の身分差、コンスル(執政官)・元老院(立法・諮問機関)は貴族が独占

→重要な重装歩兵である平民の反発

 

・護民官(平民出身で元老院やコンスルに異議を申し立てられる)・平民会(平民のみの民会)設置

・十二表法の制定・・・旧来の慣習法の明文化

・リキニウス・セクスティウス法・・・2名のコンスルのうち1名を平民から選出、公有地の占有面積の制限

・ホルテンシウス法・・・平民会の決議を元老院の認可無しに国法にできる

⇒貴族と平民の政治上の権利は同等に。しかし、独裁官の設置など貧富による権利の差は残る

 

地中海征服とその影響

ローマは前3C前半にはイタリア半島を支配→被征服都市の団結を危惧

分割統治・・・被征服都市はローマと同盟を結ぶが、ぞれぞれ異なる権利・義務→団結防止

一部被征服住民にはローマ市民権を付与→広範囲の支配を可能に

ポエニ戦争・・・ローマ対カルタゴの3回にわたる戦争

ハンニバル(カルタゴ)の活躍で一時危機もローマが勝利

その後、マケドニアとギリシアのポリスも支配→地中海全域の制覇

 

平民・・・出征により没落・農地荒廃→戦後はローマに流入→属州からの安い穀物で生活→新たな属州の獲得を望む

騎士階層・・・属州の徴税請負で莫大な富→捕虜・被征服地を使ったラティフンディア→新たな属州の獲得を望む

→戦争は拡大、それに伴い貧富の差も拡大⇒市民平等を原則としたローマ共和政は動揺、閥族派と平民派の争いへ

 

内乱の1世紀

グラックス兄弟の改革(農民の没落防止・リキニウス法復活)→大地主の抵抗により改革は頓挫→内乱の1世紀へ

・有力政治家たちは庇護民を使って互いに争う→無産市民も集めて軍隊を結成(平民派マリウス対学閥派スラ)

・同盟都市がローマに市民権を求めて反乱

・スパルタクスの反乱(剣奴による反乱)

 

第1回三頭政治・・・ポンペイウス・カエサル・クラッススが反乱を武力鎮圧、元老院・閥族派に対抗する形で開始

その後、カエサルがガリア遠征成功で人気上昇、ポンペイウスを撃破、クラッスス戦死→独裁官に就任して社会の安定

→元老院共和派のブルートゥスによって暗殺

 

第2回三頭政治・・・アントニウス・レピドゥス・オクタウィアヌスが元老院共和派に対抗する形で開始

その後、アントニウスはプトレマイオス朝エジプトのクレオパトラと結託も、アクティウムでオクタウィアヌスに破れる

⇒プトレマイオス朝エジプトは滅亡し、内乱の終結

 

ローマ帝国

 

オクタウィアヌス・・・元老院よりアウグストゥスの尊称を付与⇒帝政時代の開始

元首政(名目上共和政を尊重するものの、実際は独裁)を採用

 

ローマの平和(パックス=ロマーナ)・・・アウグステゥスより五賢帝の終わりまでの約200年間

トラヤヌス帝時代に最大領土

カラカラ帝によりローマ帝国領内の全自由民に市民権が付与

商業貿易も繁栄

⇒名実ともに世界帝国に

 

3世紀の危機

 

マルクス=アウレリウス=アントニウス帝(最後の五賢帝)末期より、財政の行き詰まり・経済不振が表面化

・軍人皇帝(各属州独自に擁立した皇帝)時代

・ゲルマン人やササン朝の侵入→帝国分裂の危機

 

社会の仕組みも変化

・軍事力維持のため都市は重税を課される→都市の衰退

・ラティフンディア→コロナトゥス(都市を去った上層市民が下層市民をコロヌスとして使役)へ

 

西ローマ帝国の滅亡

 

ディオクレティアヌス帝・・・帝国を東西にわけ、それぞれに正帝と副帝を置く分担統治(四帝分治制)

元首政から専制君主政へ

コンスタンティヌス帝・・・キリスト教公認→帝国の安定を図る

ビザンティウムをコンスタンティノープルに改称

下層民の身分・職業の世襲化、強固な官僚体制の構築→ポリス以来の自由が喪失

テオドシウス帝・・・属州の反乱・ゲルマン人の大移動で帝国分裂は不可避に→395年、ローマ帝国を東西に分割

東ローマ帝国は健在なものの、西ローマ帝国は476年に滅亡